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思うままの刺し子とペットロスの記憶

ひとつ前の記事に引き続きこちらも昨年の年末あたり、ちょうど1年前に刺したもの。

さらしの布巾を作るついでに1枚だけ半分に折って5㎜×5㎜の方眼を書いておき、布巾を作り終えた後、ちくちく段染めの刺し子糸で縫いました。

参考にした図案は特になくて、ただ気の向くまま適当に刺してみたら、山あり谷あり模様が完成。

ちょうどこの時期はおばあちゃま猫(うめ)が天国へと旅立って1か月半経ったあたり。

何もする気がおきず、朝起きあがるのもしんどい、何かを楽しむ気持ちがまったく湧いてこない、胸の締めつけで息苦しくなったり、突拍子もなく涙がじわっと浮かんでくる、感情にうまくピントがあわない、そんな状態がずっと続いているときでした。

1年経ってようやく当時のことを冷静に振り返られるようになりました。

落ち込んでいたとき、塗り絵はできませんでした。色がうまいこと扱えない感じで、うっとおしくもありました。

でも、針仕事はできたんです。

布をまっすぐに切って縫う、ただそれだけのことで、心が凪いでゆくのを感じました。

ラビとうちにやってきたばかりのファムの存在も大きかったです。

折しも夫は仕事で遠方に暮らしていて、ひとりぼっちで過ごしていました。それもよかったのだと思います。心配されるより放っておいて欲しかったから。

深く落ち込んでしまったときは、ひとりで何かに没頭して回復に向かうのがいつものことで、このときもそうでした。海外ドラマやアニメを見ながら、淡々と針仕事をこなしていました。

山あり谷ありみたいな刺し子模様もこうしたかったわけではなくて、線をつないでいったら自然とこういうふうにできあがってました。当時の心境なのだと思います。

このあとも刺し子作品を作り続け、それに伴って気持ちもゆっくりと上向いていきまして、今年の夏ごろにはおばあちゃま猫(うめ)の思い出話もできるくらいにまで復活。

突然起る気持ちの揺れは、今はもう治まってます。趣味のことも楽しく再開できるようになりました。それでも、毎朝起きてリビングに行くのが怖くてたまらないのです。また猫が倒れていたらどうしよう、と。

猫と暮らすということは、突然の別れがやってくるかもしれないことを覚悟しておかないといけません。

おばあちゃま猫の姉妹猫(そら)を4年前に急性腎不全で亡くしたとき、もっと早くに気づいていれば…と落ち込みたくさん後悔しました。

同じ後悔はしたくなくて、できる限りのことをやるべく、猫たちの様子や食べたものを記録するようになりました。もし何か変だと感じたり、状態がおかしければ早めにかかりつけの獣医に相談しに行くようにしていました。

悲しい思いを繰り返さないために始めました

これだけきちんと猫のことを見ているのだから大丈夫だろう、そんなふうに安心しきっていたのです。

どれだけ気を配っていても、おばあちゃま猫(うめ)はわたしが寝ている間に旅立ってしまっていました。

原因は不明のままです。

もう何が何だかわからなくて。

できることはやりきっていたし、前夜まではいつも通り元気に走り回っていたのですから。

簡単には受け入れきれませんでした。

わたしがペットロスになった経緯はこんな感じでした。

当時のことを思い返しながらようやく記事にすることができました。

いつか書こうと思っていて、なかなか書けなかったこと。書きながら鼻がツーンとしていて、涙腺崩壊しかけているのでうまくまとめきれません。

長く読みにくい文章でごめんなさい。

ペットロスは、当事者にしかわからない感情だと思います。わたしの場合はひとりの時間をたっぷり持てたこと、ファムを家族として迎えたこと、自分の心を落ち着かせる方法を知っていたこと、これらの要素が揃っていたから立ち直れたのだと考えています。

もし近くにペットロスで苦しんでいる人がいるならば、どう接すればよいのかを当人に聞いてみるのもひとつの手段です。漠然とした喪失感や悲しみに襲われているときの対処方法は人によってちがいます。

わたしのようにひとりになりたい人、気持ちを聞いてほしい人、誰かにそっとそばに居てもらいたい人、思い出話をしたい人、それぞれです。

当人の気持ちを汲んで見守っていただけたらな、と思います。

ずっと大好きうめとそら